伝統漢方研究会とは

自主運営の研究会

伝統漢方研究会は漢方薬や鍼灸など漢方医学に携わる様々な人達が自由に交流して学ぶ場です。
その礎を作られたのは当時鹿児島県国分市で漢方薬局を開業されていた薬剤師・木下順一朗先生であり、木下先生は伝統的な日本漢方を基本としながらも、実践で使えるものは何でも柔軟に取り入れられたこともあって、伝統漢方研究会は流派にこだわることなく、排他的なところがありません。すでにそれぞれの流派で長年学んだ人も、漢方の初学者も、年配も若手も楽しく机を並べているのが伝統漢方研究会の良いところでしょう。
活動の基本は各支部で開催される研究会ですが、研究会後の食事会、研修旅行や全国大会、ゴルフ会などを通じて全国の仲間達との交流も会員の楽しみとなっています。

そんな伝統漢方研究会のそもそもの発端は、木下先生が90年代に同業の仲間たちに請われて鹿児島のご自宅で漢方理論と医療気功の糸練功(当時はそのルーツになる入江正先生が開発したフィンガーテスト)を教えたことに始まります。それが評判を呼んでついには自宅に入りきらなくなり、会場を借りて勉強会を行うようになります。
当時から現在に至るまで、薬業界には様々な漢方系の組織・団体がありましたが、そのほとんどは特定の製薬メーカーと一体になったものでした。いわゆる「メーカーの紐付き」の団体ではなく、本当に患者さんの方を向いた中立な自主運営の団体を作りたいという主旨の下に、90年代後半に木下先生と縁のある薬業界の仲間たちによって伝統漢方研究会が産声をあげます。2000年頃には福岡に拠点を移した研究会に北海道、関東、関西からも受講者が毎月大勢集まるようになりました。

その後も薬業界の薬剤師・登録販売者を中心に同志は増えて行き、徐々に鍼灸師、医師の方々も仲間に加わって、現在では多種にわたる資格をもった方々がお互いを尊重し、それぞれの得意なところを持ち寄って学び合う会となりました。
活動拠点も関西、関東、中四国、北陸、北海道と増えて行きましたが、現在は九州(福岡)、関西(大阪)、関東(東京)に活動拠点を整理しております。

2004年には念願であった淡路夢舞台国際会議場において第1回の全国大会の開催にこぎつけ、また併行して中国の本場の生薬市場の視察調査旅行も始まりました。2016年4月現在までに、12回の全国大会、9冊の会員論文集発刊、成都・安国・広州・重慶などの生薬市場調査、上海気功研究所での気功研修、中国での国際学会での会員による発表などの活動を行ってきています。すべてが自主運営のため、それぞれができることを助けあって活動をしていますが、特に若い人たちが中心になって積極的に色々なことに取り組んでいるのも伝統漢方研究会の特色です。

伝統漢方研究会の漢方と姿勢

伝統漢方研究会が扱う漢方医学は、多くは日本漢方と呼ばれるものを踏襲しており、浅田宗伯の医訓にある「古方を主として後世方を運用すべし」に近い考えがあります。薬味が少なくシンプルなものを中心に学び、薬味の働きを通して薬方の働きを考えること、薬味の基本法則から症候との対応を考えることを大切にし、その応用によって多味にわたる薬方も考えることができるようになって行くと考えます。
また同じく浅田宗伯の医訓に「傷寒雑病とも三陰三陽の病位を定むべき事」とありますが、伝統漢方研究会でもこれに倣い、問診から大まかな病位を絞ること、病気の流れとしての大きな法則性も大切にしています。
こうしてみると「折衷派」と呼ばれた浅田流漢方に近いところがありますが、薬味の帰経、臓腑経絡との関係などについては中医学的な要素も多く取り入れていますし、治療理論を考える上での黄帝内経霊枢・難経の法則や考え方、養生法においては黄帝内経素問や本草綱目なども取り入れています。
いずれにせよ、伝統漢方研究会が大切にしているのは「実践で使える理論」であり、机上の空論や古典を開いて重箱の隅をつつくような勉強はしておりません。

伝統漢方研究会のもう一つの特徴は医療気功の糸練功(しれんこう)を学べるところです。
そのルーツをたどってみると、多くの人が知る近代の日本漢方の流れには、湯本求真先生から大塚敬節先生、大塚敬節先生と共に日本漢方を復興した矢数道明先生などの漢方家が中心に描かれているのですが、その中に間中善雄先生がいらっしゃいました。間中善雄先生は外科にも漢方にも鍼灸にも通じた天才であり、漢方医学に様々な実験手技を取り入れた功績があります。その一番弟子と呼ばれたのが鍼灸師の入江正先生でした。入江正先生は「東洋医学は体表解剖学である」という間中善雄先生の教えを実践し、晩年に入江式フィンガーテストを確立し、これによる経別脈診法などの手技の開発によって古典に書かれた臓腑経絡の現象の確認に踏み込んだ努力家で、縦横無尽に鍼灸と漢方を駆使して数多くの治療実績を残されました。

木下順一朗先生は漢方で開業された後、入江先生が漢方の臨床誌に発表された論文と出会います。全ての論文を取り寄せて試してみるもなかなか思うようにいかず、入江先生の門を叩きます。論文の内容をすべて頭に叩き込んでいった木下先生は他の教え子たちが必死にノートをとっている傍らで、ひたすら入江先生の手の使い方だけをみてコツをつかみます。これが後に上海気功研究所の柴剣宇先生に教えられた気功と結びつき、現在の糸練功が誕生しました。
木下先生は糸練功を駆使して様々な難しい病気、治りにくい病気に対しての漢方的な工夫を発見して今日に至ります。

さて、糸練功は練習さえ積めば誰でもある程度できるようになりますが、漢方医学の理論がなくては臨床では役に立ちません。三陰三陽の病位の判断、気血水の大まかな病因の判断、望診・聞診・問診の三診による判断、病態ごとの確率の高い薬方や組み合わせなどの知識から理論的に適応薬方を絞り込むことが何より大切で、糸練功はそこで初めて活きてきます。木下先生は伝統漢方研究会発足当初から「糸練功使いになるな」と警鐘を鳴らしています。

糸練功は伝統漢方研究会において重要で不可欠な要素であり、できるだけ身に着けたい技術ですが、うまくできる人もなかなかできない人も当然います。まずは焦らずに漢方の基礎理論をしっかり身につけることです。初学者でもベテランでも誰がみても理論的に明らかなことの方が大切だと伝統漢方研究会では考えています。

伝統漢方研究会はこのように木下先生とその仲間たちによって作られた自主運営の会です。
自主運営にはそれなりに大変なところもありますが、木下先生がそうであるように私たちは堅苦しいことは嫌いで、いつも楽しみながら学んでいます。漢方を実践医学として取り組む態度、誰が上でも下でもなく仲間を大切にする心、困っている患者さんに真摯に向かいあうその気持ち、これらがあれば誰でも一緒に学ぶ仲間になれると思っています。